2020年のアメリカ合衆国氏選挙にてドナルド・トランプとの戦いの末、勝利は目前としているジョー・バイデン氏。
現在、77歳という年齢であるジョー・バイデン氏ですが、実は若い頃はイケメンであったという噂があります。
また、波乱万丈な人生を送ってきたというジョー・バイデン氏の経歴は凄まじいものでした。
そこでこの記事では、ジョー・バイデン氏の経歴についてや若い頃の写真、画像をご紹介します。
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ジョー・バイデン氏のプロフィール
名前:ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア(ジョー・バイデン)
生年月日:1942年11月20日(2020年現在77歳)
出身地:アメリカ・ペンシルベニア州スクラントン
学歴:アーキエア・アカデミー→デラウェア大学→シラキューズ大学ロースクール
前職:弁護士
所属政党:民主党
配偶者:ネイリア・バイデン
ジル・バイデン(現在の妻)
子供:ボー・バイデン
ハンター・バイデン
ナオミ・バイデン
アシュリー・バイデン
ジョー・バイデン氏の経歴
バイデン氏の華やかな人生の裏には悲劇もありました。
学生時代
1942年11月20日、アメリカペンシルベニア州スクラントンで4人兄弟の長男として産まれました。
バイデン氏の家は、父親の事業が失敗したこともあり、今とは違い苦しい生活を余儀なくされます。
ですが、父親が中古車のセールスマンとしての職を得たことにより、安定した生活を送ることができるようになります。
その後、バイデン氏はアーキエア・アカデミー卒業後、デラウェア大学へと進学します。
デラウェア大学時代は政治学や歴史学を学び、スポーツや恋愛にも熱中し楽しむ一方で、当時19歳であったバイデン氏はアルバイトをしていました。
アルバイト先には、所得の低い黒人が多く住む地域にあるプールでした。
そのプールでアルバイトをしていたこともあり、人種差別をすることもなく、多様性への理解を深めていったとのことでした。
「ここで働いたことで、バイデン氏は黒人がどう考え、話すのかを理解するようになったと思う。私は素行の悪い子どもだったが、彼は私の教育や生活を気にかけてくれた。彼は人を肌の色ではなく中身で判断している」と、60年来の友人であるスミスさんは言います。
デラウェア大学を卒業後、法科大学院であるシラキューズ大学ロースクールへ進学します。
進学をした翌1966年には、ロースクール在学中にネイリア・ハンターさんと結婚をし、3人の子供を授かります。
1968年には法務博士号を取得しました。
弁護士時代~
卒業をした翌1969年にデラウェア大州弁護士会へ加入し、ウィルミントンで弁護士として開業をします。
開業後に政治活動も開始し、1970年のデラウェア州ニューキャッスル群議会議員に初選出しました。
そして1972年には、上院議員選挙に民主党から出馬し見事当選した後、そのまま政治家への道へと進んでいきます。
ところが、その直後同年12月18日に悲劇は起きました。
バイデン氏の妻・ネイリアは子供たちを連れて車で移動中、交差点に差し掛かった際にトレーラーが4人を乗せた車に追突しました。
そして、妻・ネイリアと長女・ナオミは今は亡き人となりました。
長男・ボーと次男・ロバートは生き残ったものの重傷をおい生死をさまようレベルでした。
事故により、長男と次男の息子2人の世話のため付きっきりの看病に励みました。
その際、バイデン氏は1度議員職を辞退しようとしましたが、周りからの説得もあり、辞退はしませんでした。
そして、議員就任の宣誓式は息子の病室で行い、息子たちの世話のために、自宅から片道2時間をかけ、ワシントンである議会に参加し続けました。
悲劇があった3年後のこと、1975年に広告に掲載されていた現在の妻・ジルの写真を見て一目ぼれをします。
そして、結婚をするまでに5回ものプロポーズをし、1977年に結婚をしました。
後の1981年には、2人の娘であるアシュリーが産まれ、妻・ジルは2人の息子と1人の娘を自身の子供のように育てました。
結婚後、バイデン氏は順調に政治家としての道を進んでいきます。
1978年、1984年の上院議員に再選を果たしますが、1988年の大統領選民主党指名候補争いに破れています。
1988年またしても、悲劇に見舞われます。
当時45歳の時に首への痛みに悩まされていました。
原因は、脳動脈瘤が破裂したことが原因とされており、一時危篤状態に陥り、生死をさまよったとされています。
さらには、同年に2度目の手術を受け、議員活動の継続が危ぶまれていたものの、リハビリの効果もあり、入院から7ヵ月ほどで復帰しました。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙~
2008年のアメリカ合衆国大統領選挙に挑戦するものの候補指名争いには敗れました。
当時、バイデン氏の他にバラク・オバマ元大統領とヒラリー・クリントン候補の2強が立候補しており、双方が他を突き放す形になりました。
ですが、バラク・オバマ元大統領と組んだ民主党公認候補として副大統領に選出しました。
2009年にインフラ支出を監督したり、2010年の税制救済法、2011年の予算管理法、2012年にはアメリカ納税者救済法などの法案を通過させるのを助けたりと多くの取り組みに力を尽くしました。
そして、2012年に再任し、2期に渡りオバマ元大統領のもとで尽力したことにより、その功労を称えられました。
功労を称えられた2017年に大統領自由勲章を受けた際に、何も伝えられていなかったバイデン氏は感動のあまり涙したとのことです。
ですが、副大統領に再任してから1年後のことまたもやバイデン氏に悲劇が降りかかります。
回復をした長男・ボーは父親の背中を追うような形で地元であるデラウェア州の司法長官に就任しました。
しかし、長男・ボーは2013年に脳腫瘍を患ってしまい、2015年5月に46歳という若さで亡くなってしまったのです。
長男を失い、悲しさのあまりか、翌2016年の大統領選挙の立候補は断念しています。
2016年の大統領選挙を断念したことにより、政治家人生は終わってしまうのかとも思われていましたが、2020年には77歳という年齢で大統領に立候補しています。
【まとめ】バイデンの華やかな人生の裏には多くの苦難が潜んでいた
今回は、バイデン氏のプロフィールや経歴についてご紹介しました。
バイデン氏の華やかな人生の中には、多くの苦難や悲劇が潜んでいました。
そして、そんなバイデン氏ですが、2020年の大統領選挙では優勢という形で、選挙の結果は確実と出ています。
もし、バイデン氏が大統領に選ばれたとすると史上最年長での大統領就任となります。
そして、史上最年少から5番目という若年層から政治界に入ってから幾度とない活躍を残しています。
これから、バイデン氏はどのような政治家の道を歩んでいくのでしょうか。
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