皇后であられる雅子様と、皇嗣妃であられる紀子様。
比較されることも多いこのお二方には、とある都市伝説が噂されています。
いったいどのようなものなのでしょうか?
この記事では、雅子様と紀子樣にまつわる都市伝説と不思議な縁について、比較しながら考察していきます。
Contents
【名前の都市伝説】雅子様と紀子様
雅子様と紀子様の都市伝説・・・
それはお二人の名前に隠されています。
お二人の旧名、ご結婚される前の名前に注目してみましょう。
雅子様の旧名は「小和田雅子」
紀子様の旧名は「川嶋紀子」
この2つを平仮名に直して並べます。
お わ だ ま さ こ
か わ し ま き こ
この平仮名の列を上下交互に読んでみてください。
「おわだまさこ」と「かわしまきこ」・・・
この2通りの文字列が浮かんできましたね。
名前を交互に読むことで、お互いの名前を作ることができる・・・
こんなことができる2人組はめったにいないのではないでしょうか。
名前にこのような法則があることから、
お二人は「陰」と「陽」で対になる運命だ
と、噂する人もいるようです。
名前のような文字列の並び替えを「アナグラム」といいます。
今回の都市伝説も「アナグラム」の一種。
しかし、わざわざ名前を並び替えるなんて強引だと思う方も多いでしょう。
はたして、「アナグラム」と「運命」は結びつくものなのでしょうか。
そこで、この2つを結び付けて考えていた方がいるのでご紹介します。
その方とは、小林正観氏です。
『「そ・わ・か」の法則』『喜ばれる』などのベストセラーを持つ小林氏。
彼は自分の名前のアナグラムから、自らの運命を占っていました。
小林正観さんは、三つのアナグラムがあったそうです
「こばやしせいかん」→「かんせいごはやし」→「完成後早し」
正観さんは40歳ぐらいの時に自分の価値観が完成したなら
後ろを見ずに前を向いて全力で走れという意味にとらえられたそうです。
「こばやしせいかん」→「こせいはかんしゃ」→「個性は感謝」
という名前のアナグラムは、ありがとう感謝することの大切さを教えてくれた
「こばやしせいかん」→「こんせいはしゃか」→「今生は釈迦」
というアナグラム、正観さんは「今生は釈迦のメッセージを伝える」
ということを自分自身の役割としてとらえていたそうです
「アナグラム」と「運命」には関係性がある・・・
実際に、このような見方をするのも少なくありません。
雅子様と紀子様の「アナグラム」
初出は「トリビアの泉」のNo.132です。
今から10年ほど前のもののようですが、よくできた都市伝説ですね。
雅子様と紀子様の徹底比較
学歴やお世継ぎ・・・
様々な場面で比較されがちな雅子様と紀子様。
「陰と陽」の関係性を噂されるお二人の違いはどこにあるのでしょうか。
比較していきます。
雅子様と紀子様の生い立ちから結婚まで
まずは雅子様の生い立ちから見ていきましょう。
東京都出身。
外交官の父親を持ち、自らも外務省に勤めていらっしゃいました。
出身大学はハーバード大学経済学部。
その後東大の大学院に編入したスーパーエリートです。
天皇陛下から求婚されたときには、「外務省をやめるつもりはない」とお断りしたこともありました。
(その後、陛下や皇室関係者からの説得によって、結婚を決意したそうです)
「賢母」と呼ぶにふさわしい、立派なお方ですね。
天皇陛下との馴れ初めに関してはこちらの記事を参考にしてください。
>>>【徳仁天皇と雅子さま】結婚までのエピソード!出会いや馴れ初めをまとめてみた
次に、紀子様についてみていきましょう。
静岡県出身。
学習院大学助教授の父親を持ち、自らも学習院大学へ進学されています。
学習院大学といえば、多くの皇族が通うことでも有名な大学。
秋篠宮さまとは、大学構内の書店でお知り合いになったようです。
交際して6年ほどたったころ、秋篠宮さまからプロポーズされました。
雅子様とは対照的に、外の世界で働くことがないままご結婚に至りました。
優しい笑顔を絶やさぬ紀子様。
雅子様が「賢母」なら、紀子様は「良妻」でしょう。
まさに「陰と陽」、補い合えるようなお人柄ですね。
関連記事
>>>【学習院】皇族はなぜいく?皇族離れの原因は警備や偏差値が関係してるのか考察
雅子様と紀子様の世継ぎ問題
雅子様と紀子様を比較するとき、よく話題に上がるのが「お世継ぎ」。
当時皇太后であられた雅子様に男子が生まれなかったことから、2000年代では皇室典範改正の動きもありました。
皇室継続のため女系天皇もやむなし、との声もあったそうです。
そんな流れを打破したのが、紀子様の男子ご懐妊。
2006年の悠仁さまの御出産によって、皇室典範改正の動きは鈍くなりました。
女系天皇論も鳴りを潜めましたね。
男子がいるなら男系継承を続けるのでしょう。
紀子様の男子ご出産は、皇室の伝統を守る一助となりました。
皇后となられた雅子様。
将来の天皇の母となられた紀子様。
またも「陰と陽」。
補い合う関係が見えてきましたね。
雅子様と紀子様の現在と今後
一時期「適応障害」となられた雅子様。
皇后となられた現在では公務をしっかりとこなされています。
これからも、多くのご公務をおこなしになることでしょう。
詳細はこちらで解説しています。
>>>【雅子様】病状悪化で現在は?原因や症状について徹底調査してみた
天皇の母となるであろう紀子様もまた、日々ご公務に勤しんでおられます。
秋篠宮家には様々な問題が取り沙汰されていますが、それに負けることなく皇室を支えていただきたいですね。
戦後、宮家が減らされたことにより、皇族1人当たりのご公務は増えているといわれています。
皇后となられた雅子様、皇嗣妃であられる紀子様も、かなりの量のご公務をこなすことでしょう。
雅子様と紀子様、縁の深いお二人には、陰陽玉の如く互いを支えあっていただけたら、と筆者は思っています。
【まとめ】雅子様と紀子様の都市伝説と比較
以上が、雅子様と紀子様の都市伝説と不思議な縁についてを比較して考察した内容となります。
なかなか興味深いものではないでしょうか。
名前の並び替え「アナグラム」と「運命」とを結び付けて考える人も多いようです。
また、初出が「トリビアの泉」なのには驚きました。
何かと比較されることの多い雅子様と紀子様。
違う者同士だからこそ、忙しい皇室にてお互いに支えあっていて欲しいところです。
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