宮崎駿の息子である、宮崎吾朗が初監督を務め、その結果大酷評となってしまったゲド戦記。
映画は原作と違っていい、というスタンスでいた原作者も流石にこれには激怒してしまったという、とんでもない映画となってしまいました。
さて、原作者が激怒してしまうほど原作と異なっているゲド戦記には、アニメと原作にはどのような違いがあるのでしょうか?
原作版とのあらすじとの違いや、がっかりしてしまうポイントをネタバレありでご紹介します!
Contents
ゲド戦記原作者が激怒したって本当?
激怒と言うよりは静かに強い怒りを放っている印象が強くあります。
元々ゲド戦記は宮崎駿が原作者であるル=グウィン氏にアニメ化させてほしいと言ったのですが、当時本人はアニメが好きではなかったことから破談に。
しかし今度は宮崎駿監督にル=グウィンがお願いしに行くと、そろそろ引退したいと宮崎駿に言われ、結果息子である吾郎さんが駆り出されました。
この時点でゲド戦記は原作者が求めるクオリティからはちょっとずれる、という予感はありましたが、結果は散々だったのです。
激怒よりある意味怖い…原作改変の是非に苦言
精密さや力強さがなく、美しかったけど手抜きされているように見えた。
これが原作者がブログに残した第一声でした。
「原作の意図にそぐわない暴力」が加わっており、更に原作の道筋からは大きく外れて支離滅裂、キャラクターもなんだか違う…。
流石にこれでは原作者が怒っても仕方ない部分はあります。
原作をそのままやるつもりが別物に!?
これはあくまで都市伝説なのですが、最初は原作そのままのストーリーで映画が作られることとなっていました。
しかしながら宮崎吾朗側の解釈で原作の物語は今のものに変更へ、その上タイトルも「遠い旅の終わりに」とする案があったというのです。
そこで登場するのが原作者であり「タイトルを変えたら全くの別物になる!」とここで大激怒した話が加わってきます。
最終的には今の形に落ち着いたものの、原作者と確執が生まれたなんて話もありますね。
ネタバレ注意!ゲド戦記のあらすじから見る映画と原作の違いとガッカリポイント
ゲド戦記はそうでなくとも複雑だ、と感じますが、原作ゲド戦記はきちんと物語が一貫して書かれています。
編集が下手なんだろうと感じてしまいがちではあるのですが、映画ゲド戦記がこうなってしまったのには理由があります。
原作と映画の違い
そもそも原作は分厚いハードカバー本6冊の物語で成り立っているのですが、この内の3巻目が映画版の元となっている話なのです。
またゲド戦記の「ゲド」とはハイタカ(この項の画像参照)というおじさまのことであり、物語の視点が大きく変わってくるのです。
更に凄いのはこのゲド戦記の中に、宮崎駿が出版している「シュナの旅」という物語をミックスしていること。
なるほど原作とは大きく物語が変わるわけです。
ガッカリポイント1:主人公が違う
原作の主人公はゲド、つまりハイタカのことであり、強い勇士であるおじさまです。
ここに関しては映画版でも、ビジュアル的に主人公で十分いけたはずです。
しかしながら映画の主人公は、父を刺して国を抜け出してきた王子であるアレン、ダークさに関してはこちらが優勢と言えるでしょう。
確かに大英雄よりは、自分の中に葛藤を残している青年の方が、物語を重ねていきやすいと感じる部分は否めませんが…。
主人公ハイタカを期待していた人にとってはガッカリです。
ガッカリポイント2:とにかく重い
暴力や憂鬱、人身売買、薬などコレでもかと言うほど、世界のマイナス面を描いているのが映画版です。
原作にもこういった描写はあるのですが、ここまで深くは描かれていませんでした。
特に重いのが映画版主人公のアレンの感情!この性格や感情の重さは当時衝撃的な内容とも言えました。
2021年現在は逆に評価される点となる可能性も高いのですが。
ガッカリポイント3;原作の切り抜き方が絶妙
原作はハードカバーの分厚い本6冊分、その内の第3巻がこの映画版の物語です。
無難に1巻あたりにしたほうが良かったのではないかと感じる人もおり、最も物語で真ん中の、重厚な部分を選択しています。
更に先程も触れた「シュナの旅」という物語のエッセンスを加えることで、重厚さを更に深いものにしました。
が、ガッカリなのはその重厚な部分を表現し切ることができず、残念ながら平凡な物語に変わってしまったことでしょうか。
ガッカリポイント4:親殺しは原作にはない
映画版のみのオリジナル要素として、主人公となったアレンが親を殺害してしまった部分があります。
これは宮崎吾朗さんを監督に投げ込んだプロデューサーの鈴木敏夫氏のアイディアで、それを知ってしまえば特に何も感じません。
が、問題は映画の中に入ることで、宮崎吾朗さん本人の感情に寄せて観客が見てしまうということ。
深く映画に入り込みすぎて頭痛がしてきてしまうほどドロドロとした感情を与えるシーンにもなってしまったのです。
衝撃…当時宮崎吾朗は当時ド素人だった…
この様にゲド戦記にはいい話が殆ど見つからず、宮崎吾朗が戦犯として挙げられてしまうのですが、コレには深い事情があります。
これを知ってしまうと、流石に宮崎吾朗さんだけを責めることはできません…。
全くの素人が映画を作るとどうなる?実験的要素
まずは全くアニメの仕事に携わらなかった人物がアニメ映画を作るとどうなるのか、ちょっとした実験的な要素があります。
父である宮崎駿は流石に大反対したのですが、スタッフの推薦もあってやってみようということになりました。
ただ宮崎吾朗さんは当時本当にアニメの仕事に携わったことがなく、ネームバリューだけでの勝負になってしまったことも事実なのです。
宮崎駿ノータッチ宣言
そんなこともあったのと、当時映画作りを引退したいと考えていた宮崎駿さんは、映画ゲド戦記にはノータッチを貫きました。
後に聞いた原作者は非常に不服だった旨を話しています。
多少監修には携わったとは思われるのですが、ほぼノータッチのままで映画が作成されました。
建築家であってアニメを作る人ではない!
一方の宮崎吾朗さんは、建築家としてスタジオジブリに入社したのであって、アニメ映画なんて考えたこともない世界でした。
建築家ということで基本的な絵は描けるのですが、絵コンテとしてはなかなか良い意味で難しい解釈となっていたと言います。
しかし当然プロに及ぶわけがなく、ゲド戦記の前に惨敗となったのです。
フォローしておくと、それ以降アニメ映画の勉強を重ね、現在はきちんとした意味での期待の新人として頑張っています。
まとめ
原作者ががっかりするほどの原作改変と、物語のあらっぽさは原作者が怒るのも無理はありません。
また、そもそも非常に長い小説を切り取った一部が映画になっているということで、編集も難しく物語の改変はやむを得ないという状態でした。
ゲド戦記ファンにはガッカリではありましたが、シリアスなジブリが見たい!という人には一見の価値あり!です。
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