父は昭和の名優、勝新太郎。
母は大女優で、現在はバラエティに多数出演する中村玉緒。
そんなサラブレットの血筋を引っさげて、鳴物入りで俳優界に登場したのが鴈龍太郎。
時は1988年にまで遡る。
しかし、そんな将来を約束された俳優、鴈龍太郎であったが、若い頃に偶発的に起こしてしまった事故で、その後の活動は縮小されていくこととなってしまった。
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ということで、序章が長くなりましたが、
昭和のスター勝新太郎。
その子である鴈龍太郎が、座頭市の稽古中に真剣で起こしてしまった不慮の事故。
それについて、改めて考察してみたいと思います。
Contents
鴈龍太郎が若い頃、座頭市の撮影中に起こしてしまった不慮の事故とは
1988年、12月。
鴈龍太郎が当時25際という俳優になりたての若い頃、
座頭市の稽古中、殺陣シーンを撮影している際に、斬られ役の役者さんに真剣が刺さり、不慮の事故で殺めてしまう事故を起こしてしまいました。
その日の撮影は、広島・みろくの里映画村にて行われ、
ヤクザ役の俳優80人が入り乱れる乱闘シーンを撮影。
鴈龍太郎はまだ映画出演のない素人同然の俳優で、勝新太郎も座頭市で長男をスターにすると豪語していたそうです。
当然、殺陣シーンの撮影も初めてだったので、色々と勝手が分からなかったこともあるかと思います。
後ろを振り返った瞬間に、右手に握っていた真剣が真後ろの殺陣師役の俳優に刺さり、救急車で緊急搬送。
懸命な治療にも関わらず、事故から17日後に命を引き取りました。
その後、警察からの事情聴取等もあったそうですが、不慮の事故ということで、遺族との示談が成立。
しかしながら、鴈龍太郎が抱えた十字架は大きく、そして重く、
その後、映像作品への出演は少なくなり、「スター」への道は閉ざされてしまったのでした。
わざとでは無いにしても、やはり人の命を奪ってしまったという事実、そして自責の年は計り知れないものと思います。
ことの背景まで詳しく分からないのでなんとも言えませんが、ご本人の精神状態は相当に大変なものだったと、想像するだけで辛いですよね。
しかし、一体なぜそのような真剣での事故が起きてしまったのでしょうか??
そもそもなぜ真剣が使われてしまったのか?
本来、実際の撮影シーンでは、
真剣ではなく、模擬刀を使うものとされています。
そりゃ、この時のような事故が起きてしまっては大変ですからね。
しかし、実際の座頭市の撮影では真剣が使われていました。
なぜか??
事故が起きてしまった理由について、過去の情報を当たるにコレというものは存在せず、いくつかの説がありましたので、代表的な2つを取り上げます。
一つは、迫力を出すためにスタッフが真剣を用意し、それを真剣と知らない鴈龍太郎が不良の事故を犯した説。
もう一つは、助監督が謝って真剣を渡した説。
どちらが正しいのか、
あるいはどちらも正しいのか、今となっては真相は闇の中ですが、
2つ目の理由に関しては、実際に記者会見で勝新太郎が述べています。
竹光の銀紙が取れかかり、その代替品として誤って真剣が渡された、、と。
幾ら何でも、迫力を出すためだけに真剣は使わないと思いますが、
一躍スターへと登らせるその登竜門として座頭市が用意されていたとしたら、迫真の演技を演出するために真剣を用意した・・・
勝新太郎ならアリそうだな、、
という心の声は置いておき、
やはり迫力を出すために真剣を使うことは無いと思うので、何かの事故だとは思いますが、、、
何れにせよ、その真相は闇の中となってしまいました。
まとめ
昭和の名俳優、名女優のサラブレットとして生まれた鴈龍太郎。
約束されたスターへの道。
しかし、その道は座頭市の撮影中に真剣で人を殺める不慮の事故をきっかけに、遠く険しい道となってしまいました。
そんな激動の人生を歩んだ、鴈龍太郎。
今一度歴史に名を残すこの不慮の事故を考察してみました。