若い世代を中心に人気を誇るガールズグループ・NiziU。
そのプロデューサーであるJYPことパク・ジニョンさんも、オーディション番組「Nizi Project」に登場し注目を集めました。
かつては自身も歌手やダンサーとして活躍しており、現在はプロデュースするグループが次々にヒットしているパク・ジニョンさんですが、その音楽的感性は一体どのように磨かれたのでしょうか?
もしかしたら、英才教育を受けていたなんて可能性もありますよね。
今回は、パク・ジニョンさんの経歴や生い立ちを通して、NiziUが誕生するまでの軌跡を振り返っていきます!
Contents
パク・ジニョンの生い立ち
【名前】パク・ジニョン(朴 軫永、박진영)
【別名】JYP、J.Y.Park
【生年月日】1971年12月13日
【出身】韓国・ソウル
【職業】シンガーソングライター、音楽プロデューサー
【事務所】JYPエンターテインメント
1971年生まれのパク・ジニョンさんは、ソウル市で暮らしていました。
小学校1年生の時、父親の転勤にともないアメリカに引っ越すこととなります。
アメリカで過ごしたことがきっかけでブラックミュージックの存在を知り、音楽に興味を持ったのだそうです。
ブラックミュージックとは?
アメリカの黒人発祥の音楽。ビート感・グルーヴ感が特徴です。
R&B、ジャズ、ソウル、ヒップホップなど、さまざまなジャンルの音楽の元となりました。
また、パク・ジニョンさんは昔からJ-POPに親しんでいたそうなんです。
高校生の頃、サザン・オールスターズの桑田佳祐さんが期間限定で活動していたKUWATA BANDの音楽を聞き、
「アジア人でも黒人音楽ができる」ということに衝撃を受けたのだとか。
パク・ジニョンさんがその時聴いた音楽が、KUWATA BAND 「スキップ・ビート」。
「スキップ・ビート」は、テレビ番組に出演した際にも披露していました。
その他にも、小室哲哉さんや久保田利伸さん、安全地帯などの曲を聴いていたそうです!
しかし、パク・ジニョンさんの幼少期は日韓関係が良くありませんでした。
なので、韓国でJ-POPのCDを手に入れることは難しかったはず…。
そこでどうしたかというと、裏市に通ってCDを入手していたのだそうです。
パク・ジニョンさんの音楽の原点にJ-POPがあるというのは、日本人として嬉しいですね!
その後はソウルにある延世大学校に入学し、大学2年生時のスカウトがきっかけで、歌手を志したそうです。
パク・ジニョンのその後の経歴は?
1992年、「パク・ジニョンと新時代」というグループでデビューを果たしました。
しかしなかなか芽が出ず、再デビューを目指してオーディションに挑戦する日々を送ります。
転機が訪れたのは、キム・ゴンモという歌手のバックダンサーを務めていた時です。
作曲家であるキム・ヒョンソクと知り合い、彼のもとで音楽について学んだことが、現在のプロデューサー業に繋がりました。
プロデューサーとして活躍
パク・ジニョンさんは、1997年に事務所を立ち上げプロデューサー業を開始します。
事務所はのちに「JYPエンターテインメント」と改名し、たくさんのアーティストを世に送り出してきました!
- TWICE
- NiziU
- ITZY
- 2PM
- GOT7
- miss A
など
所属アーティストが次々に人気になり、韓国3大芸能事務所に数えられる存在となりました。
2020年、NiziU誕生!
そして日韓合同のオーディションプロジェクトである「Nizi Project」が行われ、通過したメンバー9人によるNiziUが結成されました!
オーディションはHuluで配信され、多くの視聴者が参加メンバーを見守りました。
パート1・パート2を通して描かれたオーディションには、パク・ジニョンさんも参加しメンバーの選抜を行っています。
番組に登場したことで日本でも注目を集め、最終回が放送された後には関連ワードがTwitterでトレンド入りしました。
【まとめ】パクジニョンJYPの生い立ち・経歴・NiziU誕生まで
今回は、K-POP界を牽引するJYPことパク・ジニョンさんの、生い立ちや経歴・NiziU誕生までの軌跡をご紹介しました。
プロデューサーとして活躍する以前は歌手として活動していたことや、NiziU以外にも多くのアーティストを手掛けていることがわかりましたね!
今後もJYPプロデュースのアーティストに注目してみてくださいね。
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