『秋篠宮殿下』の父親や母親は天皇一族であれば父親は「上皇明仁様」、母親は「上皇后美智子様」です。
ですが、一部の噂では『秋篠宮殿下』の父親は「上皇明仁様」では無いという話が出回っています。
また、反対に母親である「上皇后美智子様」が母ではないという噂もあります。
そうなれば、一体父親は誰なのでしょうか?
また、母親についてもどうして噂が経ったのでしょうか?
この記事では、『秋篠宮殿下』の父親と母親の噂についてご紹介していきます。
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『秋篠宮殿下』の父親は「上皇明仁様」
『秋篠宮殿下』が天皇実子では無いという噂は、関係各位に根強く伝承されています。
その噂の出処というのは、皇宮警察でした。
皇宮警察とは、警察官の中でも選びすぐりの良血者で構成されている機関です。
母親である「上皇后美智子様」は、遡ること40年ほど前に昭和天皇の后や女官たちから陰湿ないじめを受けていました。
そして、そのイジメから精神的なダメージもあり、那須の御用邸で静養生活を送られていました。
その時に、「上皇后美智子様」の護衛をしていたのが皇宮警察官でした。
同情から恋情に変わり、2人は恋に落ちたというのが噂の1つとなっています。
そして、その噂通りであれば『秋篠宮殿下』の父親は「上皇明仁様」では無いということになりますね。
『秋篠宮殿下』の母親は「上皇后美智子様」
『秋篠宮殿下』と調べていると何故か「加茂さくら」という名前が出てきます。
反対に、「加茂さくら」と検索しても同様に『秋篠宮殿下』とセットででます。
なぜ、この2人がセットで出てくるのでしょう?
「上皇明仁様」は「加茂さくら」のファンであったという噂
当時「加茂さくら」さんは、宝塚に所属しており、「上皇明仁様」は大ファンだったという噂があります。
また、「加茂さくら」さんの母方の遠い親戚に皇族の方がいらっしゃるということから、直接お会いする機会があったとのことでした。
もしかすると「上皇后美智子様」とご結婚される前に恋仲であった可能性も考えられますね。
なぜ噂が立ったのか?
ではなぜ、このような噂が立ったのでしょうか?
それは、「上皇明仁様」と「上皇后美智子様」ご夫妻に似つかないような顔立ちや背丈という原因があります。
お二方のお顔と『秋篠宮殿下』のお顔を比べてみますと、あまり似ていないように思えます。
また、身長も「上皇明仁様」と「上皇后美智子様」ご夫妻や兄妹である「今上天皇徳仁様」と「黒田清子様」は160台でした。
ですが、『秋篠宮殿下』は178cmとかなりの身長差です。
身長に至っては、兄妹によって差が生じることは良くあることではありますが、ここまであるとどうなのでしょう。
そして、世間の噂として有名なのが『秋篠宮殿下』の小さい頃のお顔をと「加茂さくら」さんのお顔が似ているという噂です。
「上皇后美智子様」は胞状奇胎という病気だった?
「上皇后美智子様」は、第1子である「今上天皇徳仁様」をご出産されてから3年後に2人目を妊娠されていました。
ですが、この時、「胞状奇胎」という胎児が葡萄のように膨れ上がってしまう病気にかかってしまいます。
そして、2人目は流産とのことでした。
また、このことから次の妊娠が難しいと囁かれており、子宮を摘出されたのではと言われていた程でした。
その上、妊娠をしている様な姿で表に現さないまま昭和40年に『秋篠宮殿下』が産まれました。
このことから、『秋篠宮殿下』はお二方のどちらかの息子では無いのではないかと言う噂がたちました。
また、お顔が似ていない、体格が似ていない、性格が似ていないと飛び交い腹違いなのではと噂されています。
ですが、『秋篠宮殿下』が生まれた1965年11月30日に「加茂さくら」さんが何をしていたかなどを調べて見ました。
すると、当時1965年11月3日~11月26日までの間、宝塚劇場で舞台に立っていたということがわかりました。
舞台に立っていたということはタイトな衣装も着ていたことになります。
そんな中、妊娠していたとしたら分かりますよね。
ということは、「加茂さくら」さんが『秋篠宮殿下』を産んだという噂はガセな可能性が高いですね。
【まとめ】『秋篠宮殿下』の母親は「加茂さくら」ではなかった
この記事では、『秋篠宮殿下』の父親と母親の噂についてご紹介しました。
噂は噂でしかありませんが、実際には「上皇明仁様」と「上皇后美智子様」にお顔や背丈などは似ていませんね。
ですが、「加茂さくら」さんは『秋篠宮殿下』の母親ではないということはわかりました。
「加茂さくら」は「上皇明仁様」が大ファンであったというところから出た噂です。
また、「上皇后美智子様」の噂も確かなものはありません。
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