外見からは想像がつかない程の鋭い正拳突きを披露した『菅義偉官房長官』。
スポーツ紙の取材時に報道陣からリクエストを受け「正拳突き」をしましたが、外見からはあまりスポーツマンではなさそうな感じですよね。
では、鋭い正拳突きをしていた『菅義偉官房長官』の空手の腕前はどれぐらいなのでしょうか?
また、段位は2段という事でしたが、実際のところどうなのでしょうか。
この記事では、『菅義偉官房長官』の空手の腕前や、流派、段位についてご紹介します。
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菅義偉官房長官の学生時代は黒帯2段
今ではあまりスポーツマンではなさそうな雰囲気のある『菅義偉官房長官』ですが、大学時代は空手部に入部されていました。
そして、写真でも分かるように『菅義偉官房長官』の帯は黒帯です。
黒帯というと初段で一番強い帯ということになりますが、黒帯の中でも1~10までの段数があります。
段位を取得するには条件があり、それを満たし審査に合格することで段位を取得することができます。
元々『菅義偉官房長官』は自身を鍛えるために大学の空手部に入ったそうです。
そのためか『菅義偉官房長官』は、黒帯2段です。
2段は空手道の基礎的な技術を取得し、その基礎的な使用を十分なし得る者に与えられる段位で初段以上を取得するには長い年月が必要という意味もあり難しいです。
また、『菅義偉官房長官』は、大学時代「空手部副将」でもあり、空手部の同期である山本さん曰く、先輩や後輩からも人望が厚かったとの事です。
黒帯2段で副将ということもあり、お強かったということですね。
菅義偉官房長官の流派とは?
空手には様々な流派があります。
形は似ていますが、全く同じということではなく、〇〇流という中でも派生があり、伝系不明な方も多く存在します。
また、空手に詳しい方が見ることで「打ち込みの形や高さ」の違いで見分けることが出来るそうです。
菅義偉官房長官の流派は「剛柔流」
菅義偉官房長官が取得していた流派は、沖縄3大流派である「剛柔流」です。
「剛柔流」は、日本における空手の流派名としては最古の流派であり、1915年に開祖である「宮城長順先生」が中国へ渡り武道修行を行い、研究を重ねできた流派です。
研究を重ねた結果、体育的、武術的な効果と合理性、化学性を加味させた近代的な空手道が完成しました。
「剛柔流」をはじめとする沖縄3大流派は「剛柔流」以外にも「上地流」、「小林流」があります。
また、「剛柔流」は沖縄3大流派以外にも空手護身術の4大流派でもあります。
空手護身術は「剛柔流」をはじめ「松濤館流」、「糸東流」、「和道流」があります。
菅義偉官房長官の腕前とは?
腕前は、なかなかのものだったと当時主将であった「山本信寿」さんは言いました。
空手の突きは強く、スピードもあり力が強かったと言っていました。
また、空手ではないですが、大学時代の春の合宿時に40人が参加した腕相撲大会が行われていた時、OBや上級生を打ち負かして『菅義偉官房長官』が優勝するというエピソードがありました。
『菅義偉官房長官』は少年時代から力が強く、山本さんはすごく驚かさせられたと取材の際に伝えていました。
菅義偉官房長官の稽古内容
『菅義偉官房長官』が通う法政大学の空手部はとても厳しい稽古をしていたのことです。
稽古内容は、突きなどの基本的な稽古から組み手、形の練習、ランニングに腕立て伏せ、腹筋運動などの筋トレを100回などなかなかハードな練習内容でした。
そのハードさがわかるエピソードとして、1年生の時に一緒に入部をした同期は卒業を迎えるまでに15人から7人まで減っていたと山本さんは言っていました。
また、2014年ごろの全日本空手道連盟が発行した機関紙での取材で
「空手道を通じて培ったものは、政治の世界に入ってからも役立っている。困難に耐える精神力は、空手道部で鍛えられたものだと痛感します」
と語っていたこともあり、『菅義偉官房長官』も厳しい稽古だと感じていたと思います。
まとめ
この記事では、『菅義偉官房長官』の大学時代の空手の段位や腕前、流派についてご紹介しました。
『菅義偉官房長官』の腕前は、黒帯の2段ということもあり、副将を任せられるほどの腕前でした。
また、『菅義偉官房長官』が2段を取得した年の取得者は主将である山本さんと副将である『菅義偉官房長官』だけでした。
元々は自身を鍛えるためでしたが、鍛えるといっても黒帯の2段というのはなかなか年月もかかり難しいものだと思います。
そんなに、取得することが難しい段位を取得されているのはすごいことですよね。
そして、そこまでの段位を上げるための稽古内容がとても厳しいものであり、辞めていく部員も多くいたことからもその厳しさが伺えますね。
この稽古の厳しさに耐え抜いた精神を是非総理大臣としての困難を乗り越えていただきたいです。