【追悼】水島新司

漫画

【追悼】水島新司は現在何してた?引退理由は3つあった!

 
野球を題材にした漫画『ドカベン』『野球狂の詩』はアニメ放送もされ、知っている方も多く長い間愛されて続けている漫画ですよね。

その作者である漫画家 水島新司さんが2022年1月10日肺炎のため亡くなり、野球界やファン・各界からも悼む声が寄せられています。

そして2020年に引退を発表したことについては謎に包まれていて、今回は【追悼】水島新司は現在何をしていたのか・引退理由は何だったのかを調べてみました!

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【追悼】水島新司は現在何してた?

 

【追悼】水島新司 現在何してた?

香川伸行(プロ野球・元南海捕手)と対談する水島新司(漫画家)


 

これまでは漫画一筋で体調が悪い時も常に漫画を描き続け、漫画家の中でもとてもタフで有名だったそうです。

スポーツや将棋が趣味で、特に大好きな野球を観に野球場にも足繫く通っていたほど。
 
【追悼】水島新司 現在
 
上の写真についてですが『ドカベン』の山田太郎に体形などがプロ野球の 香川伸之さんが似ていることから、その後『ドカベン』の愛称で親しまれ『その関係で交流があったそうです。

引退後はきっと趣味を謳歌しながら過ごすことが出来ていたことを願いますが、引退後については公表をしていません。

ネットでは「闘病していた」という説もあったものの残念ながら現在(亡くなる前)何をして過ごしていたかの確信の情報はありませんでした。

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【追悼】水島新司の引退理由は3つあった!

 
【追悼】水島新司 現在
 
2020年に発表された引退。

それからネットでも引退理由を色々推察しているのを見ますが、3つあると言われる理由についてを調べてみました。

①年齢による体調の維持が困難・病気
 
63年間ほぼ漫画を休載することなく描き続けてきた水島新司さんですが、80代ともなれば体力もこれまでと同じとはいかないと思います。

新潟市で行うマンガコンテスト『にいがたマンガ大賞』では第1回から第11回まで最終審査員を務め、漫画家を目指す卵たちを応援してきたそうです。

しかし2009年に『新潟市サポーターズ倶楽部』会長を辞任し、2015年の『にいがたマンガ大賞』では体調不良のため最終審査員を辞任。

このことから引退について、漫画家としての引き際を考えた可能性が大きいのではないかと感じます。

 

②ドカベン最終巻での区切り
 
2018年にドカベンの48巻目が発売され、やはり水島新司さんの代表の漫画の最終巻とあって感慨深かったはず。

その代表作品の最後を締めくくったことで区切りにしたのではないか。

 

③余生を趣味をしたりゆったり過ごすため
 
年齢を重ね、ご自身の生涯で漫画だけに集中出来る力がどこまで続くか。

ふと、そう考えると余生を他の好きなことに使いながらゆったり過ごすという選択だったのかもしれません。

 

いずれにしても、体調面の不安はあったのではないでしょうか。

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水島新司 プロフィール

 
【追悼】水島新司 現在何してた?
 

漫画家として63年という長い間活動をし、2020年の引退発表ののち82歳でこの世を去った水島新司さん。

その水島さんについてご紹介します。
 

~~水島新司(みずしましんじ)~~

【職業】:漫画家(野球漫画)

【生年月日】:1939年4月10日

【出身地】:新潟県新潟市

【血液型】:B型

【趣味】:野球・将棋

 

新潟市の実家は魚屋を生業としていましたが父親のギャンブル好きだったため、多額の借金を抱え生活が大変な中で少年時代を過ごしたそうです。

中学は地元の学校に通いましたが、高校進学の希望は断念。

しかも父親が借金していたのが水産問屋に丁稚奉公に出され、そこで仕事をしながら漫画家への夢を抱き寝る間も惜しんで漫画を描いていました。

そして1958年大阪にある、貸本漫画出版社『日の丸文庫』の漫画短編誌【影】の新人漫画コンクールへ『深夜の客』という作品を応募。

これがデビュー作となりました。

評価はそう高いものではなかったものの、その時に審査員だった佐藤まさあきさんが才能を見抜き入選として特選2席を用意し表彰。

表彰式で社長 山田秀三さんにどうしても漫画家になりたい‼と強く訴え、家族をも説得し1年以内に漫画家になると宣言。

それから社長宅に住み込み、日の丸文庫編集の下働きと平行して必死に漫画を執筆し続けた結果

人気貸本漫画家に。

1964年『日の丸文庫』専属を経たのちに独立に向け上京し『週刊少年キング』で数々の作品を送り出し、野球が大好きなことから、野球漫画家として人気となっていきました。

それは水島新司さんの漫画に対する情熱・強い気持ちと努力が、確実に漫画家への道に繋がったのではないでしょうか。

それは誰でも出来ることではないと思います。

それだけ物凄いエネルギーを持って夢に向かえるのはとても素晴らしいことですよね。

【追悼】水島新司 代表作品

 
【追悼】水島新司 現在
 
漫画家 水島新司さんの代表作品をご紹介!
 

『ドカベン』(1972年~1981年まで週刊少年チャンピオンまで連載、1972年10月21日~1981年3月31日の間に少年チャンピオン・コミックスにて48巻を発刊)
 
【追悼】水島新司 現在
 

『野球狂の詩』1972年~1977年 週刊少年マガジン掲載、1997年ミスターマガジンで『野球狂の詩 平成編』として復活
 
【追悼】水島新司 現在
 
【追悼】水島新司 現在
 

『あぶさん』(1973年~2014年4月 ビッグコミックオリジナルで連載、1973年~2014年2月5日ビッグコミックスにて全107巻を発刊)
 
【追悼】水島新司 現在
 

【アニメ化】

『ドカベン』1976年10月6日~1979年12月26日までフジテレビ系で全163話放送。

『野球狂の詩』1977年12月23日(第1話)・1978年5月19日~9月15日(第2話~第6話は毎月1回放送)・11月6日~1979年3月26日(第7話~25話毎週放送)フジテレビ系で放送。

【映画化】

1977年 春休み東映まんがまつりで『ドカベン』を公開。

同年 夏休み東映まんがまつりで『ドカベン甲子園への道』を公開。

同年東映より実写版『ドカベン』上映には徳島監督役として水島新司さんご本人出演。

同年日活より実写版『野球狂の詩』上映にはメッツファン役として水島新司さんご本人出演。(併映作品は劇場版『未来少年コナン』だった)

【レコード・楽曲】

1976年第1話~第106話まで『がんばれドカベン』がオープニングの主題歌で「がんばれ、がんばれドカベン!や~まだ、た~ろ~~♪」ろいうサビは誰もが口ずさむほど有名で作詞は原作者 水島新司さん。

1977年第1話~第12話までと15話~25話まで同タイトル『野球狂の詩』は、当時は珍しいスキャットで歌っています。

第13話・第14話は『北の狼 南の虎』を水木一郎さんが歌っています。

1973年 当時プロ野球選手だった江本孟紀さんがテイチクレコードから『あぶさん』のテーマ曲を発売していて、この曲間に原作者 水島新司さんの声によるセリフがあるそうです。

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まとめ

 
【追悼】水島新司 現在何してた?
 
今回、【追悼】水島新司は現在何してた?引退理由は3つあった!をお伝えしました。

水島新司さんといえば『ドカベン』と『野球狂の詩』がテレビアニメでも放送していましたので、強く印象に残っています。

漫画を描いて63年というのは本当にエネルギーのいることだと思います。

それをほぼ休刊せずに81歳まで続けていた漫画家はなかなかいないのではないでしょうか。

引退後の確実な情報はありませんでしたが生涯を漫画に捧げやり遂げた凄い方だというのははっきりと言えますね。

最後までご覧くださりありがとうございました。
 
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