プロ野球・甲子園

宮城大弥の涙の貧乏エピソードまとめ!兄弟は8人?令和版・左門豊作が話題!

 

オリックスバファローズの期待の新人である、宮城大弥選手は、ダルビッシュ選手からも絶賛されるほどの選手となっています。

 

そんな、宮城大弥選手には、ビンボーエピソードがあるのをご存知でしょうか?

 

また、兄弟や家族構成についても調べてまとめてみましたので、どうぞご覧ください!

 

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Contents

宮城大弥とは

 

 
・宮城 大弥(みやぎ ひろや) 
 
・2001年 8月 25日に沖縄県宜野湾市 に生まれる
 
・血液型は A型で、身長171cm、体重80kg

・現在はオリックス・バファローズに所属 

・ポジションは投手で、投球代打ともに左、背番号は13

・興南高等学校(沖縄)出身で、2019年ドラフト1位

・2020年10月4日に初出場

・年俸は2021現在で870万円

 

経歴

宮城大弥投手は、4歳の時に野球を始めます。

野球を始めたきっかけは、散歩中に野球を見てなんとなく野球をやってみたくなったんだとか。

 

そして、めきめきと実力をつけ、小学校では、志真志ドラゴンズに所属します。

宮城大弥投手は、もともと左投げの選手だったのですが小学校5年生の時に左肘を剥離骨折してしまい、右投げに変更しました。

 

そして、中学校では、宜野湾市立嘉数中学校の宜野湾ポニーズに所属します。

中学1年生の時には右投げの外野手でしたが、2年生の時に左投げに戻ることになります。

 

この時、すでに宮城大弥選手は投手として139キロを投げることが出来たのです。

 

また、投球の速さだけではなく、コントロールがとても良かったので、カーブや、フォーク、スライダーといった変化球も投げることが出来ていたことには驚きですね。

 

さらに、時は進み中学校三年生の時にはUー15日本代表にも選ばれ、高校は沖縄県きっ野球の名門校である興南高校に入学します。

 

宮城大弥選手は、高校1年生の春からベンチ入りを果たし1年生と2年生で甲子園に出場していました。

 


高校3年生の夏は沖縄県予選の決勝で沖縄尚学を相手に負けてしまうのですが、U-18の日本代表に選ばれ、佐々木朗希選手や奥川恭伸選手、西純矢選手と共に日の丸を背負って戦ったことがあります。

 

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宮城大弥選手は8人兄弟!?

 

宮城大弥選手の家族構成を調べたところ10人家族ということが分かり、父、母、そして兄が三人で、姉が三人、宮城選手、妹の8人兄弟の7番目という事でした。

 

お兄さんや、お姉さんの情報は、まだ出てきていなかったのですが、妹が可愛いとネットで話題に上がっているようです。

 

 

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宮城大弥選手の貧乏エピソード

 

宮城博也選手が、8人兄弟だったのは先ほどお伝えしたのですが、おうちが貧乏だったというエピソードが出てきましたので、ご紹介していきます!

 

700円のグローブをレンジでチン

 

宮城大弥選手の初めてのグローブは、700円のビニール製のグローブでした。

はじめてのグローブが嬉しかった宮城大弥選手は、毎日枕元にグローブを置いて寝ていました。

 

宮城大弥選手にとって大切なグローブだったのですが、お父さんが電子レンジでチンをしてしまいます。

 

お父さんいわく、グローブが柔らかくなって使いやすくなるようにチンをしたみたいですが、ビニールでできているので、溶けてしまいました。

 

そんな父親に怒らず、グッとこらえて「グローブが消えちゃった。パパ、本物の魔法だね。」と答えたのです。

子どもながらに、父親の思いを尊重していたのでしょう。

 

心が育っている子どもだったのですね!

 

ツギハギのユニフォーム

 

宮城大弥選手が小学校で少年野球チームに入った時のお話ですが…。

経済的に貧しかった宮城家は、ユニフォームを買うのも簡単なことではありませんでした。

 

なので、 破れてしまったユニフォームは買い直すのではなく、ツギハギをして使い続けることになります。

 

一番ひどい時には、ツギハギが6枚になるときもあったそうで、当時について宮城大弥選手は「自分でもちょっと動きづらかったし、重い感覚もありました。」と語っていました。

 

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水道が止まる

家計が苦しい時は、ルーとご飯のみの具なしカレーが続く日があったと語っています。

 

また、水道料金を払うことが出来ずに止まってしまうこともしばしばありましたが、その時は、 ヤカンの中に残っていた水を沸かして、そのお湯で宮城大弥選手の体を拭いてくれたとのことでした。

 

当時の気持ちを振り返り、宮城大弥選手は、「苦しい時には、下ばかり向いても意味がないし、苦しい時にこそ、笑って前を向こうと思いました。」と語っています。

 

自分の置かれた環境に文句を言うこともなく、ひたすらに野球に取り組んできた成果が現在の宮城大弥選手を作っているのでしょうね。

 

貧乏だった理由は交通事故

宮城大弥選手のご実家が貧しかった理由を調べてみたところ、お父様が交通事故にあっていたことが分かりました。

 

お父さんは、若い頃に交通事故にあってしまい、その後遺症で左手が不自由になってしまいます。

 

なので、定職に就くことが難しく10人もの家族を養っていくことは、かなり大変だった事でしょう。

家族のために一生懸命に働いている母親を見た居たからこそ、文句を言わずに、ひたすらに野球に取り組んでいたのではないでしょうか。

 

遠征や出費がかかってしまうたびに、母に「ごめんな、いつか恩返しするから」と宮城大弥選手は言っていたそうです。

 


プロ入りを見事果たした宮城大弥選手は、これから恩返しをすることが出来ると喜びでいっぱいなのではないでしょうか。

本当に、良い子に育ちましたね!

 

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【まとめ】宮城選手はいいやつだった!

 

今回は、プロ野球選手の期待の星である宮城大弥選手についてまとめてみました!

宮城選手の家族構成は、10人家族で、兄が3人、姉が3人、宮城選手、妹の8人兄弟でしたね!

 

宮城選手の貧乏エピソードはこちら

 

 
・700円のグローブをレンジでチン

・ツギハギのユニフォーム

・水道が止まる

 

家庭環境に文句を言うことなく、4歳のころから始めた野球でプロ入りを果たします。

 

宮城大弥選手が、とてつもなく立派な大人になったのは、大変な家庭環境でも支え続けてくれた両親のおかげですね!

 

また、「恩返しをするから」が口癖となっていた宮城選手は、プロ入りを果たし活躍することで恩返しをする夢がかなうことに、喜びを感じているのではないでしょうか。

 

これからの活躍が期待される宮城選手をたくさん応援していきましょうね!

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