2004年10月20日に富山港で座礁沈没した、海の貴婦人こと海王丸。
この記事では、その座礁沈没の原因と当時の船長、さらに、海王丸はその後どうなったかを調べていますので、チェックしてみたくださいね。
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海王丸座礁沈没の原因は台風
海王丸が富山港で座礁沈没をした原因、それは人為的なものでなく台風です。
2004年10月16日にマリアナ諸島で発生した台風23号。
海王丸船長はその風速を最大でも40メートルと判断しましたが、実際には45メートル(瞬間60メートル)にも達した超大型台風、それは船員の想定していたものよりもとてつもなく大きいものであり、波も観測史上最大の6,3メートルを記録しました。
台風の影響で重さ30トンもあるイカリに引きづられ、いかりが流される「走錨」状態になってしまった海王丸。
そのまま伏木富山港の防波堤に激突、座礁沈没してしまいました。
海猿の活躍もあり、最終的に167名全員が無事に救出された海王丸座礁沈没事故。
その原因は台風ですが、航海に出ると踏み切った船長の判断ミスではないか、そういった声もあったんですね。
海王丸座礁沈没当時の船長は池田重樹
調べて見た所、海王丸の座礁沈没事故当時の船長は、池田重樹さん。
台風に備えて、富山湾沖1,6キロのところに錨を下ろし、錨泊の体制をとりましたが、前述した通り想定外の大きさの台風にやれれ、結果として座礁してしまいました。
ちなみに、当時海上保安庁からも、台風回避に適した場所ではないと避難勧告を受けていましたが、その警告を守らない選択肢を取ってしまいました。
当時を振り返り、池田重樹船長はご自身の判断ミスを認めています。
しかし、なぜ池田重樹船長はこのような判断ミスをしてしまったのか。
かなりのベテランですからね、気になります。
その理由ですが、当時のことを次のように語っているんです。
「乗客員の他に、船には3泊4日の体験航海に参加した研修生社会人も乗っており、24日には富山新港で一般公開も予定されていた。その予定日に、研修生を降ろしてあげたかった、行事にも影響を及ぼさない方法でやりたく、ギリギリの選択で錨泊を決断した」
と、話されており、単純な判断ミスではなく、色々な事情を汲み取った上で、ご自身の経験から航海可能だと判断されたんですね・・・
海王丸 その後はどうなったのか
では、座礁沈没してしまった海王丸のその後はどうなってしまったのか、それについても調べてみました。
すると、なんと、海王丸は元の姿へと修繕され、練習船として現在でも運行しているんです!
すごいですよね〜!!
当時の事故を教訓に、日本の会場運送と、それを担う強い船乗りを育成するためだとか・・・
いや、本当に素晴らしいですよね。
今後も素晴らしい船乗りをどんどん育てていってほしいと思います。