プロ野球をはじめとしたスポーツ界には、トレード制度というものがあります。
会社で考えると、自社の社員を同業他社の社員と交換しましょう、ということですから、一般社会では珍しい制度ですね。
プロ野球界では、このトレード制度に関する情報がたびたび話題になっています。
今回、トレード制度のルールや、プロ野球界のトレードの歴史をさかのぼって見ていきましょう!
Contents
プロ野球のトレード制度とは
プロ野球界でのトレード制度とは、球団同士が合意の上で、お互いの選手を交換・譲渡することをいいます。
主に球団の戦力補強の為に行われることが多いため、即戦力の選手がよくトレードされていますね。
また、FA(フリーエージェント)、自由契約、ポスティングシステムでの移籍は、トレード制度に含まれません。
トレード制度は、手段によって主に次の5つに分類されます。
交換トレード:球団同士で所属の選手を交換する
金銭トレード:一方の球団が選手を譲渡し、もう一方の球団が金銭を支払う
混合トレード:交換トレードと金銭トレードの両方が混じったもの
無償トレード:一方が選手を譲渡し、もう一方の球団は何も出さない
三角トレード:3球団で選手の交換を行う
一般的には、交換トレードが主流となっています。
トレードは拒否できない?
プロ野球界でのトレード制度は通常、選手の意思に関係なく、球団同士で実施できるとされています。
“トレードされる選手本人の意見が通らないままトレードが行われていいの?”
“納得のいかないトレードでも承諾しなくてはいけないの?”
と思いますが、プロ野球界において、選手は球団とプロ野球選手契約を結ぶ際に、統一契約書というものを交わします。
その統一契約書の一部には、以下の文章が書かれています。
第21条(契約の譲渡)
選手は球団が選手契約による球団の権利義務譲渡のため、日本プロフェッショナル野球協約に従い本契約を参稼期間中および契約保留期間中、日本プロフェッショナル野球組織に属するいずれかの球団へ譲渡できることを承諾する。引用元: 日本プロ野球選手会ホームページ掲載の統一契約書から抜粋
このことから、選手は球団との契約時に、自身の意思とは関係なくトレードが行われることに、同意しているというわけです。
トレードを拒否するとどうなるの?
拒否権がないにもかかわらず、選手がトレードを拒否した場合、主に以下2つのどちらかの対応が行われます。
・選手が球団側に移籍したくないと残留を申し出て、承諾される
・球団が残留を受け入れなかった場合、選手に任意引退として退団してもらう
過去に、残留の申し出が承諾されることもありましたが、受け入れてもらえずに引退となってしまった選手もいました。
定岡正二、トレード拒否で即引退!?
定岡正二は、甲子園でエースとして2試合連続完封の活躍を見せ、元祖イケメン投手として人気を集めていました。
そして、1974年のプロ野球ドラフト会議で、読売ジャイアンツから1位指名を受け入団しました。
入団後はなかなか成績を残すことができず、6年目にしてようやくプロ初勝利をおさめています。
その後、入団9年目となる1985年に、読売ジャイアンツから近鉄へのトレードが言い渡されました。
定岡は、トレードを拒否しても読売ジャイアンツに残留できると思っていましたが、球団との話し合いの中で、来期の戦力構想に入っていないことを告げられてしまいます。
それでも定岡は、巨人以外のチームならユニフォームは着ない、とトレードを拒否。
最終的に、任意引退とすることで両者は合意し、定岡は29歳という若さでプロ野球人生の幕をとじました。
過去には高年俸のあの選手も?プロ野球大型トレードの歴史をさかのぼる!
これまでプロ野球界において、さまざまな選手がトレードされてきました。
歴史をさかのぼってみると、野球に詳しくない人でも聞いたことあるような、有名選手もトレードされていたことが分かりました。
小林繁投手(巨人)・江川卓投手(阪神)のトレード
このトレードは1993年に行われました。
トレードの対象となった選手↓
巨人:小林繁 最高年俸:3600万円
阪神:江川卓 最高年俸:7000万円
このトレードは後に、江川事件と呼ばれる日本中が注目する大事件となりました。
1978年のドラフトで阪神は、前年ドラフトでクラウンライターの指名を蹴って1年浪人していた法大卒の江川を引き当てました。
しかし、巨人はドラフト前日の「空白の1日」で江川と契約していたと主張。
当時のコミッショナーの裁定で、阪神が江川を獲得したうえで、即日巨人にトレードすることとなりました。
その際に、阪神が指名したトレードの相手が、巨人エースの小林です。
小林は1979年1月31日、春季キャンプに出掛ける寸前の羽田空港でトレードを言い渡されました。
“拒否=引退”という状況に小林は覚悟を決め、トレードに応じました。
その後、江川は1年目、9勝に終わるが、2年目からは8年連続で2桁勝利。
悲劇のヒーローと言われた小林は意地を見せて、移籍1年目は22勝を記録して最多勝のタイトルを獲得しました。
秋山幸二外野手(西武)・佐々木誠外野手(ダイエー)らのトレード
このトレードは1993年に行われました。
西武:
秋山幸二 最高年俸:2億4000万円
渡辺智男 最高年俸:6200万円
内山智之 最高年俸:2200万円
ダイエー:
佐々木誠 最高年俸:2億2000万円
村田勝喜 最高年俸:7200万円
橋本武広 最高年俸:9300万円
清原和博とともに球団のスター選手であった秋山。
巨人の王、長嶋のONコンビが引退した後、日本プロ野球界をこの秋山、清原のAKコンビが導いてきたといっても過言ではありません。
その黄金コンビを解消してまで、大型トレードに踏み切った裏にはこんな経緯がありました。
当時、日本シリーズ終了と同時に、プロ野球界では大物選手が次々とFA宣言をして球界を揺らしており、西武も例外ではありませんでした。
伊東勤をはじめ、工藤公康らがFA宣言を示唆し、球団側は主力選手の引き留めの為に、大幅な年俸アップの確約をするなど、多額の出資を強いられました。
そしていよいよ、秋山がFA資格を得る、という時のことです。
秋山の当時の年俸は、球界2位の1億7000万円。
それを引き留めるには3億円近い金がかかる上に、もしFA宣言して他球団に移籍されたら球団にその保証金は入るものの、戦力的には大幅なダウンを余儀なくされます。
そこで西武とダイエーは、3対3の大型トレードを成立させたのでした。
糸井嘉男外野手(日本ハム)・大引啓次内野手(オリックス)らのトレード
このトレードは2013年1月23日に行われました。
日本ハム:
糸井嘉男外野手 最高年俸:4億5000万円
八木智哉投手 最高年俸:6000万円
オリックス:
木佐貫洋投手 最高年俸:8200万円
大引啓次内野手 最高年俸:1億円
赤田将吾外野手 最高年俸:6000万円
このトレードは戦力補強というよりは、日本ハムと糸井の関係悪化による意味合いが強いトレードでした。
前年の2012年に糸井は打率.304、リーグ最高出塁率.404を記録。
ゴールデングラブ賞を獲得し、侍ジャパンにも選出されるなど、球界を代表するスター選手でした。
トレードの引き金となったのは、難航する契約更改交渉の席で糸井がメジャー挑戦のためにポスティング移籍を要求したことだと言われています。
その後、球団との関係は不穏なものになっていきました。
結果、シーズンオフに同一リーグのオリックスに移籍となり、オリックスも主力の大引を移籍にするなど、両球団にとってチームの根幹を揺るがすトレードとなりました。
昭和の時代と違って、FAやポスティングシステムが出来たことより発生したトレードと言っても過言ではありません。
良い悪いは別として、平成日本プロ野球界ならではのトレードと言えますね。
まとめ
今回、トレード制度について紹介してきましたが、日本のプロ野球界では現状、選手本人にトレードの拒否権はない、ということが分かりましたね。
また、プロ野球界のトレードについて、歴史をさかのぼってみると、良くも悪くも話題になっている選手がたくさんいました。
所属している球団でなかなか成績を出せなかった選手が、トレードによって新しい球団で活躍している姿を見ると、使い方によっては良い制度であるといえますね。
最近では、大きなトレードの話題も少なくなってきていますが、今後も、お互いの球団・選手にとってメリットのあるトレードが行われていくといいですね!
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