陰謀論

坂本龍馬が幕末の動乱に乗じたスパイであった…の都市伝説に迫る!

 

坂本龍馬がスパイだった」という都市伝説はありますが、その真偽は不明です。

坂本龍馬は、尊王攘夷派の志士たちや薩摩藩、長州藩など多くの人々と関係を築いていました。

一方で、幕府の要人や大老とも交流があり、様々な立場の人々ともつながりを持っていました。

この記事では、そんな坂本龍馬のスパイ説について深掘りしてみたいと思います。

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Contents

なぜ坂本龍馬がスパイであったという都市伝説が生まれたのか

理由①:情勢の混乱

まず、幕末の動乱期は多くの人々が疑心暗鬼になっていたことが挙げられます。

坂本龍馬が活躍していた当時は、国内外から様々な勢力が入り乱れ、政治的・社会的な混乱が続いていました。

例えば以下の2つです。

1853年:ペリー来航(アメリカ合衆国の軍人マシュー・ペリーが来国し、鎖国をしている日本に開国を要求した)

1858年:江戸幕府が天皇の許可を得ず日米修好通商条約を結ぶ(日本にとって不利益な条約だった)

・基地を増やすため日本と条約を結びたい外国人

・国民や伝統を守るため不利益な条約を結びたくない天皇

・勝ち目のない戦争を避けるため条約を結んで開国するしかないと考える江戸幕府

結局、開国することになり外国の情報が一気に流れ込んできたので社会情勢が急激に変わっていきます。

国民からすれば、混乱して何がなんだか訳がわからないはずです。

このような状況下で、坂本龍馬が積極的に諸侯(江戸時代の大名)や外国人たちと交流を持っていたため、

スパイ活動を疑われるきっかけになったと言われています。


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理由②:幅広い交流関係

次に、坂本龍馬が幕末の薩摩藩や長州藩などの人々と関わりを持ったことも、スパイ活動を疑われる要因となりました。

彼は多くの藩と交渉し、異なる立場の人々とも関係を築いたことが知られています。

たしかに1人の人間がたくさんの人と交流していると、スパイなのではないかという考え方もあるかもしれませんね。

例えば、1866年に薩摩藩の西郷隆盛長州藩の木戸孝允との間で薩長同盟が結ばれました。

これは坂本竜馬と中岡慎太郎の仲介によって成立したもので、大政奉還(幕府が政権を天皇に返すこと)が目的でした。

坂本龍馬が多くの人と交流があったのは、政治的な思惑が絡んでいたとする見方もあります。

 

しかし、これらの2点が坂本龍馬がスパイであったことを証明するものではありません。

実際に坂本龍馬がスパイ活動を行ったという証拠は存在しません。

むしろ彼は複数の藩と交渉し、それらをまとめあげることで明治維新に貢献したとされています。

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異なる立場の人々とは

先ほど「異なる立場の人々とも関係を築いた」と述べましたが、例えば誰なのでしょうか?

坂本龍馬は長州藩や薩摩藩の軍人たちとも交流を持ち、さらに尊王攘夷派の志士たちとも連絡を取り合っていました。

他にも京都で活動していた神仏分離運動の指導者である伊藤博文とも知り合い、交流を深めていました。

これらの交流が坂本龍馬の活動にどのような影響を与えたかは諸説ありますが、彼の独自の視点や行動力につながったと考えられています。

坂本龍馬と交流を持った人

尊王攘夷派の志士である勝海舟伊藤博文大久保利通などと交流を持っていました。

また、長州藩の中岡慎太郎や薩摩藩の西郷隆盛大久保利通らの軍人たちともつながりを持っていました。

さらに、幕府の要人である井伊直弼や大老の松平春嶽とも関係を持っていたとされています。

こうして見ると、本当に幅広い人脈があったことがわかります。

実際に坂本龍馬はスパイだったのか?

歴史的な資料からは、坂本龍馬がスパイ活動を行っていたという確たる証拠は見つかっていません。

ただし、彼が幕末の動乱期に幕府側や尊王攘夷派の志士たちと交渉していたことは事実です。

その中で様々な情報を収集していた可能性はありますね。

また幕末の時代には、多くの人々が密偵やスパイとして活動していたとされています。

坂本龍馬が本格的にスパイ活動を行っていたかどうかについては、現代の歴史学者たちも意見が分かれているところです。


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坂本龍馬以外にスパイとして活動していたと言われている人物について

 

北里柴三郎:医学者であり、ドイツなどの国々で医学や科学技術を学び、その知識を幕府に提供していたとされています。

榎本武揚:幕末の志士で、江戸幕府や長州藩、薩摩藩、英国などの各地を渡り歩いていたとされています。

伊藤博文:明治維新後の政治家で、幕末には幕府に仕えながら、フランス、アメリカなどの各地を渡り歩いていたとされています。

木戸孝允:幕末の志士で、長州藩の密偵として、幕府や薩摩藩と交渉したとされています。

ヨハン・ヘーベル:幕末にお雇い外国人として来日し、幕府や各藩の情報を収集し、オランダに報告していたとされています。


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まとめ

「坂本龍馬がスパイだった」という都市伝説はありますが、その真偽は不明です。

坂本龍馬は、多くの人々と交流を持ち、尊王攘夷派の志士たちや薩摩藩、長州藩などとも関係を築いていました。

一方で、幕府の要人や大老とも交流があり、様々な立場の人々とのつながりを持っていました。

ただ、彼がスパイ活動をしていたという証拠や文献は存在しておらず、実際には歴史的な事実としては認められていません。

真実はいったい・・・

 

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