60歳を過ぎられてもいまだ現役のお笑い界の重鎮(じゅうちん)明石家さんまさん。
一時期は60歳を迎えたらお笑いの世界から卒業するなどということで話題になりましたが、その言葉は撤廃。
第一線を走り続ける姿は、笑いと共に見ているだけで元気になりますよね。そんな明石家さんまさんですが、これまでの生い立ちはあまり知られていません。
この記事では、
「壮絶な明石家さんまの生い立ち」
「継母(ままはは)との関係は?そして現在は?」
について詳細にまとめたものになります。これまで語られてこなかった明石家さんまさんの過去について気になる方も多いはず。是非最後まで読んでみてくださいね!
Contents
明石家さんまの生い立ちが壮絶だった
テレビでみる明石家さんまさんは、いつもアグレッシブで見ているだけで顔がほころんでしまうような、そんな元気なパワーを分けてくれるような存在ですよね。
しかしこの笑いの裏で壮絶な過去を背負っていたことはあまり知られていません。どんな壮絶な生い立ちをたどってきたのか順にみていきましょう。
明石家さんまが3歳の時に実の母親が他界
和歌山県で生を受けた明石家さんまさん。兄弟は兄の正樹さんとの二人兄弟。さんまの水産加工業を営んでいた父のもとで幸せに暮らしていました。
しかし、明石家さんまさんがわずか3歳の時に母親が病気で他界。その後親子3人で暮らすものの、明石家さんまさんが小学4年生の時に父親が再婚し、新しいお母さんがやってきます。
このとき継母には、連れ子がいて、明石家さんまさんは年の離れた弟ができたといって、たいそう喜んだんだとか。
継母に無視続けられた日々
弟ができたといって喜んだのも束の間、人生はそう甘くはありませんでした。継母は、実の子供ばかりを可愛がり、明石家さんまさんと兄の正樹さんのことは、まるでそこにいないように無視をし続けたといいます。
幼い頃の明石家さんまさんは、どうにか振り向いてもらおうと面白いことを考えて試行錯誤し、これが笑いの世界に入る原点ともいわれています。
兄の正樹さんが後に語ったこととして、継母は、二人のいないところで
「うちの子はこの子(弟)だけや……」
というのを壁越しに聞いた明石家さんまさんと兄。二人して二段ベッドで泣いたといいます。
義理の弟が19歳で他界
継母との関係は良好とは言えませんでしたが、新しくできた弟と明石家さんまさんは仲が良かったようです。これはのちに明石家さんまさんが弟に対してこう語っています。
ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。
ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。中略
まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……。
明石家さんまさんは、弟のことをチビと呼んでいたようですね。そしてこの文面から既に察しがついているかと思いますが、弟さんが19歳の時に火事が原因で亡くなっています。
既にこの頃には売れっ子だった明石家さんまさんですが、このことがショックでお笑いの世界から本気で引退を考えていたんだとか。そんな明石家さんまさんの窮地を救ったのが同期であるオール巨人さん。
本気でお笑いの世界から引退を考えた時期
溺愛していた弟をなくし、悲しみのどん底にいた明石家さんまさんを救ってくれたのはオール巨人さんでした。
共演した舞台の上で明石家さんまさんに向かって
「お前んち、兄弟焼いたらしいな」
となんとも直球というか皮肉のこもったつっこみ。本来なら怒ってもおかしくない場面ですがこのとき、明石家さんまさんはこう答えたのです。
「そや、材木きれたから代わりに焼いたんや」
オール巨人さんのつっこみに対してボケで返したのです。この時、舞台はそれまでにない一番の盛り上がりを見せたんだとか。二人にしかわからない絆があるからこそ言えた言葉だったのではないでしょうか。
その後明石家さんまさんは、オール巨人さんに「ありがとう。これで芸人やめんで済むわ」と感謝したというエピソードが残っています。
墜落事故に巻き込まれそうになった
1985年8月12日に起きた「日本航空JAL123便墜落事故」。「上を向いて歩こう」の曲で有名な歌手の坂本九さんをはじめとした520名の乗客員が犠牲になった大事故。
実は明石家さんまさんもテレビ番組「オレたちひょうきん族」の収録後、この飛行機に乗って大阪に移動し「ヤングタウン」に出演予定でした。
しかしたまたま、「オレたちひょうきん族」の収録が予定より早く終わった為、JAL123便をキャンセル。一つ前の便で大阪に向かいこの事故から免れたのです。九死に一生を得るとはこのことですね。
この事故以降、明石家さんまさんは、移動手段は、なるべく飛行機は使わないようにして新幹線を利用することが多いんだとか。
気になる明石家さんまの継母の現在は?
幼少期、継母から無視続けられた明石家さんまさん。その後大人になって継母とはどうなったのでしょうか?これまでテレビでも取材でも明石家さんまさんの口から継母について語られたことはありません。
ですので、和解されたのかどうかに関しては明らかにされていない状態です。ただ明石家さんまさんからの口から継母について語られることはないのでそのまま疎遠になっていると考えるのが自然でしょう。
ちなみに、実の兄・正樹さんは現在スナックを経営。店名は「カラオケバーさんま」。
まとめ・笑いの裏に隠されたつらい過去を乗り越えて
以上が
「明石家さんまの生い立ちが壮絶だった」
「実の母の死と弟の死を経験」
「継母からは無視続けられた」
についてまとめたものになります。
明石家さんまさんは、愛娘、IMALUさんに自身の座右の銘である「生きてるだけでまるもうけ」から命名されました。これまでの生い立ちを知るとこの言葉の重みがよくわかります。
つらさを知っているからこそ、人を楽しませることができる、そんな明石家さんまさんにはおじいちゃんになってもずっとテレビで笑っていてほしいと思います。
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