プロ野球・甲子園

【怪物伝説】佐藤輝明の高校時代や近大での大学成績まとめ!半世紀に一人、本物の逸材を徹底解剖!

 

2020年10月26日にドラフト会議が開かれ、1位で阪神に入団した「佐藤輝明」選手

 

2021年3月に開戦されたプロ野球オープン戦でも最多である6本塁打を記録しました。

さらに、3月27日に行われた東京ヤクルトスワローズ選では、プロ入り初本塁打を記録しています。

他にもリーグの新人で史上初の開幕2カード連続本塁打を出すほどの選手です。

 

そんな、怪物とも思われる佐藤輝明選手ですが、高校時代は甲子園出場経験のない仁川高校でした。

 

また、あまり活躍をしていないためか注目も浴びていません。

しかし、近畿大学に進学後突如注目を浴び始めます。

 

では、いつ本物の逸材へと開花したのでしょうか。

 

そこで今回は、高校通算に加え大学成績をご紹介します。

 

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Contents

佐藤輝明は仁川高校?高校時代は既に本物の逸材だった?高校通算数は20本塁打!


 
佐藤輝明選手の高校である仁川高校は、甲子園出場経験がない学校です。

しかも、この学校を選んだ理由は「家から近いから」でした。

 

この頃になってくると、既に野球への情熱は消えていたのかもしれません。

 

そのためか、部活を決める際に中学までやっていた野球ではなくサッカー部へ入部しようかと迷っていました。

ですが、やはり元々野球をしていたことや、小学校時代に対戦した相手である高取真祥さんに誘われ、野球部に入部しています。

 

高校で野球部に入部した当時は、中学であまり野球に没頭せず体を鍛えるということもなかったため、身長175cm、体重65kgといったごく普通の男子高校生でした。

スポーツマンとしてやっていくには寧ろ細身なのかもしれません。

 

しかし、現在プロで活躍している佐藤輝明選手は、身長187cm、体重94kgと体格はとても良いですよね。

 

どこからここまで進化を遂げたのでしょうか。

 

入部を決意した高校1年生

 
高校1年生は、中学で軟式野球部に所属していましたが、野球かサッカーかで悩んだという部分をみると「野球一筋」という訳ではありませんでした。

そのためか、入部してからすぐには活躍もなく、この1年間は特に怪物と言われるような動きはありませんでした。

 

プロ野球選手を目指す2年生

 
高校2年生になる頃には、1年生の頃とは打って変わり、チームの中心選手となります。

 

この1年では活躍数も伸び、やる気と共にプロ野球選手を目指しました

さらに、やる気をだした佐藤輝明選手はジムへ通い体を鍛え始めます。

 

このジムへ通おうと決心したのは、入部しようと誘ってくれた高取さんとその父親である君乙さんでした。

もともと高取親子はジムへと通っており、佐藤輝明選手がプロ野球を目指すことを決意した際に誘われています。

 

そうして始まった、高校2年の秋。

ここから週3日でジムに通うことになります。

 

細かった体は、どんどん筋肉が増し、足が速くなり、飛距離も伸びるようになったと言います。

 

ついに怪物が顔を出した高校3年生


 
筋トレの成果もあり、高校3年生になるころには、打球の飛距離はさらに伸びました。

 

高校での通算は、累計20本塁打です。

そして、その中の15本塁打は高校3年の春からは数か月で達成しています。

凄まじい急成長ですよね。

 

ここまで急成長をしているのであれば、高校生時代からスカウトから注目を浴びていてもおかしくはありません。

 

しかし、激戦区関西であり、仁川高校は甲子園出場経験がない学校です。

そのためか、夏の県大会は1回戦で敗退となりました。

これでは、注目されるわけでもなく目には留まりません。

 

それでも、佐藤輝明選手は「ホームラン」を打つ楽しさを支えに野球を続けていきました。

 

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小学時代から続く佐藤輝明選手の野球

 
佐藤輝明選手は、もともと小学生時代から野球をしていました。

そして、小学6年生では、阪神タイガースジュニアに選ばれ「プロ野球ジュニアトーナメント」に出場しています。

 

しかし、野球への情熱があまりなかったと言われている中学時代は、野球に携わっているものの軟式野球部に所属することになります。

 

というのも、小学6年生の頃に右肘を痛めており、完治するまでに1年程時間が必要でした。

そのため、中学では野球部の練習にもあまり参加できず、走り込みかそのまま帰宅という生活を送っています。

 

また、休憩時間などではサッカー部の人と交じり過ごしていました。

そういったこともあり、高校では野球部かサッカー部かで部活動を迷っていたのです。

 

スポーツマンにとってケガというのは将来的に悲劇になりかねません。

そして、佐藤輝明選手も悲劇になりかけた1人なのです。

 

ですが、しっかりと自分のペースを理解し、ケガを最優先で治すという目的がはっきりしていたのです。

そのため、1年という時間を要していますが、今ではケガを治しプロという立場で野球をしています。

 

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近畿大学へ進学!怪物と化した佐藤輝明の大学成績!


 
高校では夏の県大会は1回戦で敗退してしまいましたが、大学では高校3年以上に活躍をしています。

 

大学は近畿大学へ進学しました。

仁川高校へ入学をした理由は「家から近いから」という話でしたが、大学へは「田中秀晶監督」から導かれて進学しています。

 

田中秀晶監督と出会ったのは、高校3年生の夏前に参加した近畿大学の練習でした。

その練習で田中監督からとても高く評価をされます。

そして、近畿大学短期大学部に進学をしました。

 

大学時代では、1年生の春からレギュラーとしてリーグ戦に出続けています。

 

大学1年生


 
大学1年生では、長打力の魅力を買われ1年生春からベンチ入りを果たしています。

そして、レフトの座を掴んでしました。

 

春の試合では、本塁打をまだ出していませんでしたが、秋の試合では2本塁打を出しており、1年生にして上々の活躍を見せています。

 

大学2年生

 
大学2年生では、MVPベストナインに選ばれており、日本代表入りも果たしています。

さらに、ライト中段へと本塁打を運ぶことのできるパワーを持っていることを野球界に証明しました。

 

春の試合では2本塁打、秋の試合では3本塁打と2年生に上がってからも、勢いは落ちることなく、自身が活躍できる場を広げていきます。

 

大学3年生

 
大学3年生になり、2019年の春には最多打点を記録しました。

2年同様ベストナインに選ばれています。

 

また、春秋の試合では、それぞれ2本塁打を出しており、佐藤輝明選手の強さは留まることを知らないようですね。

 

大学4年生


 
大学4年生の春は、残念ながら開催が中止しています。

 

しかし、それでも秋には3本塁打をだし、MVPに選ばれます。

さらには、連盟新記録である14本塁打を達成しました。

 

これだけ本塁打が多いと注目されるのは当たり前ですよね。

寧ろ、高校時代に注目されなかったのが不思議なほどです。

 

また、MVPやベストナインに選ばれているところを見ると、今後のプロ野球でも活躍していく選手になりそうですね。

 

【まとめ】佐藤輝明の高校時代は細身だった

 
今回は、佐藤輝明選手の高校時代や大学時代の成績についてご紹介しました。

 

2020年の10月にプロ入りした佐藤輝明選手ですが、学生時代から既に怪物だったことがわかります。

特に大学時代には、14本塁打を出していることから素晴らしい成績ですよね。

 

しかし、小学6年生の時に右肘をケガしていなければもっとすごい選手になったかもしれません。

1年間ではあるものの野球に触れ合うことができない時間というのはとてもつらかったと思います。

 

今後プロでは、体を壊すことなくどんどん活躍していってほしいですね。

 

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