数多くの方を感動の渦へと導いた「ユーラシア大陸の横断ヒッチハイク」。
今や伝説番組となった「進め!電波少年」の旅企画として旋風を巻き起こしました。
ユーラシア大陸の横断ヒッチハイクでは幾度とない苦難にさらされていましたが、そんな部分が評価され企画は大ブレイクを起こしています。
そして、ユーラシア大陸の横断ヒッチハイクを挫折しかけながらも成し遂げたのが「猿岩石」です。
猿岩石は、今でこそ有名な有吉弘行さん・森脇和成さんが組んでいたお笑いコンビでした。
しかし、そんな感動を巻き起こした2人ですが、このヒッチハイクにて裏話が出回っていたのです。
「飛行機に乗って移動した」
そんな裏話が出回っていました。
実際のところどうだったのか気になりますよね。
また、ここまで大がかりな企画なので、撮影期間やギャラについても気になっている方は少ないと思います。
そこで今回は、ユーラシア大陸の横断ヒッチハイクの裏話やルートの詳細、いつ頃までしていたのかなどをご紹介します。
Contents
猿岩石のヒッチハイクで通過したルートは?期間はいつ頃まで?
ヒッチハイクをしている人というのは、たまに道端で見ることがあります。
しかし、ユーラシア大陸を横断という壮大な旅の中で行われるヒッチハイクというのは過酷なものです。
「たかがそこまで」という訳でもなく、「1度だけのヒッチハイク」という訳でもありません。
そんな中、大陸を横断するまで移動手段はヒッチハイクだけというのはとても辛いものですよね。
ただ、ユーラシア大陸と言ってもどんなルート、どれほどの期間を旅していたのでしょうか。
ここでは、ルートや期間についてご紹介していきます。
ヒッチハイクの旅ルートは全17箇所!
猿岩石がヒッチハイクをして渡り歩いたのは、なんと17箇所にも及んでいます。
ルートとしては、香港→中国→ベトナム→ラオス→タイ→ミャンマー→インド→パキスタン→イラン→トルコ→ブルガリア→ルーマニア→ハンガリー→オーストリア→ドイツ→フランス→イギリスです。
香港では、前説の為「電波少年INTERNATIONAL」の会場に連れていかれます。
しかし、そこでは「ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断」という目的を告げられることになりました。
そして始まったヒッチハイクは、いきなり足止めを食らうことになります。
早速の足止めを食らったことで幸先が思いやられるのが分かりますね。
ヒッチハイクの旅でかかった期間は約6カ月!
猿岩石がユーラシア大陸の横断ヒッチハイクでゴールを成し遂げたのが約6ヵ月間です。
1996年4月13日から始まり、10月19日にゴールインを果たしています。
始まりは香港でしたが、香港から中国へと跨ぐ際にビザが必要であることを知らなかった2人は、さっそくここで数日間足止めを食らいます。
そして、所持金が10万円と決まっていたので、お金はすぐ底をつく始末。
そのため、お金が無くなった日からは、日雇いでアルバイトをしながら食費や交通費を稼いでいきました。
しかし、彼らの苦難は所持金だけではありません。
なんといってもヒッチハイクです。
ヒッチハイクは、その道を通りかかった人に乗せてもらいながら移動をする手段です。
なので、道端で乗せてくれる人を探さなくてはいけないのですが、なかなか止まってくれる人がいないのが現状です。
さらに、止まってくれたとしても定員オーバーとして乗せてもらえないこともあります。
このヒッチハイクで乗せてもらわないといけないのが、猿岩石と撮影しているディレクターの3人です。
4人乗りの軽自動車では運転手のみの場合でないと乗れません。
この状況がさらに、ヒッチハイクを辛く難しくさせていました。
また、ヒッチハイク以外では「治安の悪い地域で野宿」「生水を飲む」といった行為も行っていましたね。
ヒッチハイク終了時に発覚したギャラや飛行機についての裏話!
こんなに大変で辛かった猿岩石のユーラシア大陸の横断ヒッチハイクですが、裏話があるのをご存じでしょうか。
ここでは、ヒッチハイクの裏話であるギャラや飛行機についてご紹介していきます。
ヒッチハイク終了後に発覚!?夢物語なヒッチハイク物語
これは、当時の東南アジアの状況を周知の方であれば、「おやっ?」と思うはずです。
というのも、猿岩石のヒッチハイクで行った先には「タイ」「ミャンマー」「バングラインド」「テヘラン」「アンカラ」があり、各場所を通過する必要があります。
「タイとミャンマー」「ミャンマーとバングラインド」「テヘランとアンカラ」の国境または間はとても危険で、紛争などにより通行禁止されている区域です。
そんな中、ヒッチハイクで通れるはずはありません。
それは番組側も周知の事です。
そのため、テレビ放送では国境付近に近づいている映像は流れますが、いつの間にか越えているという状態でした。
この3区間だけは国境を越えている映像は全くないのです。
そして、帰国間もない11月のこと、その映像がない部分は「飛行機に乗っていた」とスクープされました。
番組では、ヒッチハイクでの踏破というような放送をしたために、発覚した際に批判の声が上がってしまったのです。
しかし、飛行機を使用せずに国境を越えていたとしたら、地域を歩いていたとしたら、もしかしたら最悪の状況に陥っていたかもしれません。
そうなれば放送どころではないはずです。
そのことを考えると、この国境近くまでは陸路で進み、国境は飛行機で越えるというのが1番安全な方法だったのかもしれませんね。
ヒッチハイクでバカ売れ!猿岩石のギャラは?
ヒッチハイクでは大ブレイクを起こした猿岩石ですが、ギャラはいくらもらったのでしょうか。
やはり、大ブレイクということもあり、「相当貰っていたのでは?」と思うのが普通です。
しかし、当時の猿岩石はブレイク後の数年間は給料制でした。
いくらブレイクしようが、ブームを起こそうが決まった金額しか手元に入ってきません。
そのため、ヒッチハイクで得た収入はあまり貰っていないということになります。
あまりブレイクしていなかったこともあり、歩合制にはできなかったのかもしれませんね。
【まとめ】裏話があるが猿岩石のヒッチハイクは感動を残した!
今回は、猿岩石のヒッチハイクのルートや期間、裏話についてご紹介しました。
ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断するという企画ではありますが、テレビ側は何も支援せず、2人の力だけでゴールしました。
幾度となく挫折しそうになっている場面もありましたが、6ヵ月という期間で見事ゴールを果たしています。
しかし、ヒッチハイクの途中では、危険な地域ということもあり、やむを得ず飛行機を使う場面も有りました。
安全を考えれば当然のことかもしれませんよね。
きっと、このユーラシア大陸の横断ヒッチハイクは、バックパッカーにとっての夢物語だということです。
いつか、そんな夢物語も叶う日がくることを願います。
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