日本のロックミュージシャンとして名を轟かせていた『忌野清志郎』さん。
1983年にはライブアルバム「THE KING OF LIVE」を出し、そのライブの印象からザ・キング・オブ・ロックと呼ばれていました。
そんな『忌野清志郎』さんですが、2009年5月1日に癌による容態が悪化し、死去したと言われていました。
ですが、実際には死因は別にあるという声も出ています。
この記事では、『忌野清志郎』さんの死因についてや暗殺説についてご紹介します。
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忌野清志郎の死因とは?
『忌野清志郎』さんがかかっていた病名は「癌性リンパ管症」と言われています。
2006年7月13日に公式ウェブサイトにて喉頭癌で入院と発表しましたが、一度回復したとみられてから約半年後、2008年7月14日に左腸骨への癌の転移が発覚しました。
通院し治療を続けるも2009年5月1日に容態が急変したために、5月2日午前0時51分に癌性リンパ管症のため帰らぬ人となりました。
『忌野清志郎』さんがかかっていたとされる「癌性リンパ管症」とは、ガン細胞がリンパ管に入り込み、増殖しリンパ管が塞がれることでリンパの流れを妨げられてれしまいます。
肺の「癌性リンパ管症」では呼吸困難などの症状が現れます。
また、病気が進行してしまうことで元の状態には戻ることは難しく、数日間で亡くなってしまうケースが多い病気でもあります。
暗殺説とは?
『忌野清志郎』さんが亡くなり、噂で暗殺説を聞いたことはありませんか?
ですが、いくら暗殺説を調べても出てくることはりませんでした。
その代わり、治療法は通常医療ではなかったというモノをいくつも目にしました。
実は、喉頭癌になった際に、通常医療はしないとしていました。
理由は「手術をすることで声を出すことが出来なくなってしまうから」というものです。
実際に、つんくさんも同じ喉頭癌で摘出手術をしたために歌を歌うことが出来なくなっています。
やはり、ロックシンガーである『忌野清志郎』さんにとっては歌えないということはあり得ない選択だったのかもしれません。
そのため、通常医療ではなく代替療法を選択したのですね。
『忌野清志郎』さんが行っていた代替療法とは、「玄米菜食法」というもので、患者にストレスを与えず、メンタル面でのケアを優先した治療法になります。
ただし、代替療法では既に進行してしまっている癌を治すことが出来ず、同時に抗がん剤治療も受けていました。
ですが、一度回復したと思われていた矢先、左腸骨へ転移が見つかり、治療を続けていたが容態が悪化し、2009年5月2日にこの世を去りました。
通常医療をしていればという声もありますが、人の生き方に正解や不正解という文字はありません。
むしろこれは『忌野清志郎』さんが生涯歌を歌って行きたいという思いで選択したものであ、その生き様は帯事変素晴らしいものでした。
代替療法ではなく摘出手術をしていれば亡くならなかった可能性もありますが、それが本当の死因になるわけではありません。
【まとめ】忌野清志郎の死因〜暗殺説について
今回は、『忌野清志郎』さんの死因や暗殺説について解説してきました。
『忌野清志郎』さんの死因としては癌には変わりないですが、転移した癌が原因なのか、摘出手術をしなかったために癌性リンパ管症になったためなのかはわかりません。
ですが、『忌野清志郎』さんの治療の選択が間違っていたわけではありません。
そして、最後まで声を守り抜き、最後まで歌ってくれた『忌野清志郎』さんには「ありがとう」という気持ちでいっぱいですね。