優良施設と呼ばれていた岡田更生館。
しかし、とんでもない裏の顔が隠されていました。
岡田更生館の悪を暴くため、命がけで施設に乗り出した新聞記者らによる捜査。
9月3日に「奇跡体験!アンビリバボー」で放送予定です。
この記事では、岡田更生館について
・館長の名前
・現在、跡地はどうなっているのか
・脱出を成功させた北川のその後
をまとめていますので、参考にしてみてくださいね。
Contents [非表示]
恐怖の岡田更生館とは・・?
戦争で居場所を失っていた路上生活者たち。
戦争混乱期には、途上生活者が日本各地にいました。
GHQの命令により、各地に設けられた収容施設。
そのひとつが岡田更生館です。
岡山県にあった岡田更生館では、県内の路上生活者たちが強制収容されていました。
過剰収容や、職員らによる収容者への暴力により、70人以上が死亡。
1949年に問題が報道によって明るみになり、10人以上が有罪となりました。
N館長の名前
罪を重ねた岡田更生館の館長ですが、実名は公表されていません。
N館長との表記はされていました。
収容されていた者の証言によれば、N館長は柔道五段の強者。
彼の眼鏡にかなった若者たちは、監視の役目を任せられ、逃亡者に暴力をふるっていたようです。
岡田更生館事件の裁判により認定された館長の罪は、業務上横領と私文書偽装。
懲役1年・執行猶予3年の判決が下されました。
新聞社に駆け込んだ北川はどうなった?
更生館に収容されていた北川は、隙を見て脱走。
北川が毎日新聞の大阪本社に岡田更生館の有様を伝えたことがきっかけとなり、事件が明るみになりました。
なぜ大阪まで行ったのかと気になりますが・・・。
更生館が県営であったことから、警察ともグルなのではと考えたそうです。
その後北川はどうなったのか。
調べてみましたが、北川についての情報は見つかりませんでした。
彼の脱走がなければ、岡田更生館での被害はさらに酷くなっていたと考えられます。
現在の跡地について
岡田更生館は、現在の岡山県倉敷市真備町岡田というところにありました。
事件が発覚してから、更生館は「岡山県吉備寮」に改名。
しかし、1955年に施設そのものが廃止されました。
その後、救護施設となったものの、わずか1年で廃止。
また、その後も民間の病院が開院しますが、閉鎖されたとのこと。
今では住宅地になっています。
【まとめ】岡田更生館について
ここまで、岡田更生館についてまとめました。
優良施設と言われていたこともあり、事件発覚後、日本に走った衝撃は大変大きかったと想像できます。
事件について残された資料も少なく、闇を感じさせる岡田更生館。
奇跡体験!アンビリバボーの放送に注目したいところです。